特集
いまや「新宿2丁目」といえばゲイタウンの代名詞。
新宿を外して「2丁目」って言っただけでも
通じるぐらい定着してるわよね。
今回はちょっと趣向を変えて、
「新宿2丁目」
という地名の歴史を紐解いてみたいと思うわ。
まず、新宿は文字通り「新しい宿」って意味で、
昔、江戸を出発して甲州街道(いまの新宿通り・国道20号線)
を歩いてた旅人が
「ちょっとこの辺で一休みしねぇ?」
って思ったのがちょうどいまの新宿2丁目の辺りだったの。
内藤さんって武士の屋敷があったから「内藤新宿」なんて呼ばれてたわ。
内藤さんの屋敷がいまの新宿御苑だから、
どんだけ豪邸だったかが判るわ。
2丁目のお寺、大宗寺はこの頃からあったんだから驚きよ。
江戸時代から戦後まで、新宿2丁目の辺りは遊廓がある色街だったわ。
ある意味いまとは真逆よね。
遊廓の意味が判らない人は、お父さんに訊いてみてね。
戦争が終わると、
法律も変わって、遊廓はほとんどなくなったわ。
その空き家にゲイバーが入るようになって、
少しずついまの2丁目の基礎がつくられていったみたい。
ゲイタウンとしては、 上野や浅草のほうが歴史が長くて、
この頃の2丁目はまだゲイタウンの卵みたいな存在。
いまよりもゲイへの理解が少なかった時代。
こっそりと、だけど確実な出逢いを愉しみたいゲイが
だんだんと新宿へ集まるようになっていったわ。
住所も整備されて、
1978年に現在と同じ「新宿2丁目」が成立。
それから、2丁目=ゲイタウン、
という文化が根付いて、いまにいたる……
こんな風にして、新宿2丁目はハッテン、
じゃなくて発展したのよ。